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片倉兼太郎 (2代目) : ウィキペディア日本語版
片倉兼太郎 (2代目)[かたくら かねたろう]

片倉 兼太郎(かたくら かねたろう、文久2年12月24日 / グレゴリオ暦 : 1863年2月12日 - 1934年1月8日)は、日本の実業家資本家である〔片倉兼太郎 (2代)デジタル版 日本人名大辞典+Plus、コトバンク、2012年3月16日閲覧。〕。出生名は宗広(むねひろ)、片倉組創立者・片倉兼太郎の弟であったが、兄の養嗣子になり佐一(さいち)と名乗る〔〔片倉兼太郎朝日日本歴史人物事典コトバンク、2012年3月16日閲覧。〕。1917年、二代目片倉兼太郎を襲名。片倉組二代目組長、称号改め片倉製糸紡績(現在の片倉工業)社長、日東紡績社長等を歴任した〔〔〔第4部片倉工業の足跡 4・企業は社会の「公器」2代目兼太郎 上毛新聞、2006年1月4日付、2012年3月16日閲覧。〕。
== 人物・来歴 ==
1863年2月12日文久2年12月24日)、信濃国諏訪郡三沢村(のちの川岸村、現在の長野県岡谷市川岸)に、豪農片倉市助の四男「宗広」として生まれる〔。のちに長兄・兼太郎の養嗣子になり、佐一(さいち)と名乗る〔〔〔。
1917年(大正6年)2月13日、長兄かつ養父で初代片倉組組長の兼太郎の逝去にともない、同年、片倉兼太郎を襲名して二代目となる〔〔〔。
1920年(大正9年)3月14日、日支肥料(のちの片倉米穀肥料、現在の片倉コープアグリ)を大分県大分市に設立する〔。同年同月23日、片倉組を片倉製糸紡績株式会社として法人化して取締役社長に就任、本社を東京市京橋区(現在の東京都中央区京橋)に移転する〔〔〔。1921年(大正10年)9月、片倉生命保険(のちに合併して日産生命保険、1997年経営破綻)を設立、社長に就任、取締役に長男の脩一が就任する〔〔急激に発展せる片倉生命保険株式会社 片倉一族の経営 国民新聞、1927年3月22日付、電子化:神戸大学、2012年3月16日閲覧。〕。
1922年(大正11年)、ヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国中南米を長期視察する〔。1923年(大正12年)、福島紡織が郡山の片倉製糸紡績岩代紡績所を買収して日東紡績と商号変更するかたちで、同社を設立する〔〔沿革 日東紡績、2012年3月16日閲覧。〕。1928年(昭和3年)、諏訪湖畔に「片倉館」を開設する〔。製糸業から発展し、片倉財閥を形成した〔。
1934年(昭和9年)1月8日、死去した〔。満70歳没。同年、片倉兼太郎を長男・脩一が襲名し、三代目となった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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